尼僧として

いわゆるキャリアウーマンとして十数年、数字と戦ってきました。
高額所得を得、多くの部下に慕われながら何不自由なく全ての欲求を満たすかの如く日々を過ごしていましたが、心は枯れはててましたね。それでも社員の生活を守るため演じ続けていました。心は空っぽだったんです。
突然、その日はやってきました。高層ビルに構えるオフィスの窓から飛んでみたくなりました。死にたかったのではなく、リセットしたかったのです。順調に売り上げも伸ばしていましたかたら、当時の人脈には信じてもらえませんでしたが、PCみたいに自分の再起動をしたかったんです。あと一歩の勇気がなかったことに今は感謝しています。
なぜ生まれ、また生を受ければ必ず死にゆくのに、なぜ恐怖を感じるのか。
そんな疑問を抱いていた頃、易学を長く研究していた私の元に相談者が訪れてくるようになりました。
老若男女、皆、同じ悩みや不安を訴えるではありませんか。それを痛感した時、真実はある、と確信しました。そんな時、幼児期から苦しんでいた霊障が再度ひどくなり始め、お陰様で生活の糧をすべて捨てて仏門へ入る決心ができたんです。ここに私の使命がある、と奮い立つ喜びでしたね。

今、仏教は葬儀仏教といわれる時代。私は微妙な意見を持っています。
必ず人はあの世に帰るので、誰かがお手伝いをしなければいけません。
専門的に学んでいるのが僧侶であるなら、僧がお手伝いをさせていただくのがいい。しかし、悲しい現実、大金をふっかける寺院が多いのは事実。何様のつもりなのでしょう?

死は一瞬のこと。

大切なのは死を迎えるまでの長い「生」の時間ですね。正しく生きることができれば死は恐ろしくない自然の摂理。その「生」を素晴らしい命の経験へ導く教えが法華経には詰まっています。幸せとはいたってシンプル。経典に示されているシンプルな方程式を少しでも多くの人に伝道したく願い、尼僧の道を歩みだした次第です。私は今とても幸せです。
仏教とは学問。現代風にアレンジした表現を用いながら、少々真髄から反れることがあろうが、自信をもって語っていこうと決心しています。
出来の悪い弟子ですが、きっとお釈迦さまは許してくださることでしょう。